支配的な本能、その1

by | 2018-12-22 4:21pm Asia/Tokyo

支配的な本能、その1

by | 2018-12-22 4:21pm Asia/Tokyo

自分の思考を再プログラムする

僕の名前はマイカ・ジョナ・キリアン。最近、自分の思考を再プログラムするために言う肯定文とマントラについて学んだ。普通に、マントラは肯定文の省略だ。肯定文は毎日繰り返し、そしてマントラは乗り越えたい挑戦があったら、何回も繰り返す文だ。例えば、自分には怖い商戦があって、自分が感じている恐怖を乗り越えたいときに、「強大」とか何回も繰り返すことができる。

とても頭がいい人でも肯定文とマントラに興味があることは興味深い。スコット・アダムズという、ディルバートという有名なアメリカの漫画の漫画家は「How to Fail at Almost Everything and Still Win Big」(ほとんど失敗しても、大成功する方法)の中で、

肯定文は欲しがっている結果を想像しながら、何を達成したいことを自分に繰り返すことだ。

元弁護士、ジャーナリスト、映画の監督、著者、そして、マインドセットの専門家であるマイク・サーナヴィチは肯定文とマントラで自分の独り言を改善する方法について、「Gorilla Mindset」(ゴリラマインドセット)という本の中で言う、

ポジティブの独り言は肯定文とマントラという形でもある。肯定文は文章、段落や1ページの自分とする会話だ。マントラのほうは短くて、1,2つの言葉だけであることが多い。マントラを書いたら、なりたい自分を想像して。イメージして。必要な時に肯定文かマントラを繰り返す。一日の始まりにどっちか、どっちも繰り返す人もいるが、ただストレスを感じる時だけに繰り返す人もいる。

大富豪でダイナミックのビジネスマン、著者、そして自分改善のコーチであるダン・ペンヤはロンドンリアルと一緒にYoutubeのインタビューで自分が19肯定文があると言った。その一つの例文を教えてくれた:

僕の一生の愛、僕の妻であるサリー・ホールが、怖いことをすることに手伝うことで、僕は毎日にワクワクしている。

人それぞれ違うので、持っている欲求、願望、弱点や利点があるし、自分の理想の自分を表現する方法も違うの、人によって肯定文とマントラは違う。

 

生まれた時に持っていた肯定文

この何週間に、肯定文とマントラを考えているけど、僕の名前もなんか考えている。僕の名前はマイカ・ジョナ・キリアンだ。僕の一生の中に、何回僕の名前を考えたり、書いたり、行ったり、読んだり、聞いたりしたことがあるかな?何万回かも。名前の面白いところは、肯定文とマントラように、リマインダーになることがある。名前は、肯定文のように、意味がある。その意味が分かって、時々その意味を思い出して考えたら、自分の行動を微妙に変えることができる。そして、思考の種にもなる。

マイカとは、ヘブライ語の「ミカ」という「ミカエル」の省略から来て、意味は「神様のようなもの」か、「誰が神様のようなのか?」だ。「私は神様のようだ」という声明だ。「この人は神様のようだ」という説明だ。回答を待っている「どうやって神様になれるのだろうか?」という質問だ。「いつの日か、この男の子が神様のようになりますように」という、僕のために親が欲しかった結果の表現だ。

「ジョナ」というミドルネームは「白鳩」という意味をする。欧米の文化の中に、白鳩は昔から「平和」と「静か」を連想させる。聖書の中にジョナという男性の話がある。神様はジョナに、ある都市に政策について相談しに行きたまえと命令した。けど、ジョナはそんなことをする興味がなかったので、ほかの男の人たちと一緒に船に乗って、できるだけ早くどこかに行こうとした。しかし、みんなの静かな冒険を嵐が途切れた。結局、ジョナは嵐は彼のせいだとほかの男性に言った。そして、自分を水中に投げ捨ててと言った。他の男性はそのアイデアはあまり好きじゃなかったけど、そうした。ジョナは大きい魚に食われて、嵐は止んだ。

魚のお腹の中に、時間をだいぶ過ごして、少し反省した後に、魚は上陸にジョナを吐き出す。神様が命令したとおり、都市と相談しに行くことにした。話は簡単に言えば、もっとポジティブになって、もっといい人になる責任に向けることについての話だ。人は変えられる。みんなは変えられる。僕は変えられる。自分を変えることは、僕の周りの世界を変えることと、心が和むことの鍵だ。

子供の頃、父は僕に寝る前に読み聞かせをしてくれた。ジョナの冒険の話ははっきりと思い出せる。ジョナが魚に飲み込まれるときに、その飲み込む音を父がした。

僕に言われたけど、キリアンという名字は「小さくて、好戦的」という意味がある。グーグルによって、名字は二つの意味があるかもしれない。一つ目は「協会」、もうひとつ目は「小さな戦争」だ。白鳩のイメージと全然違うな。

小さくて、好戦的な白鳩で、魚の中にどうやって神様のようになれるかということを考えているのは、僕だ。それは親が僕に継いだ肯定文だ。

 

平和と戦争

人生は複雑だ。矛盾なアイデアを頭の中において、矛盾なアイデアを基づいて行動しないといけないことが多い。平和と戦争は両方とも人間性の中に大事なことで、自分の中に一体化しないといけない。僕の日常の中に、僕の周りに平和の環境を作ることは大切なんだけど、その同時に、長期間の平和をもとらすために、時々短期間のけんかとかしないといけない。平和の時間があり、戦争の時間がある。清掃したほうがいいタイミングと、どれぐらいの攻撃性が必要なのか理解するのは難しい。

この競争性と情熱が強い僕には特に難しい。何をしようとしたら、うまくやりたい(なので、引用を探したり、ビデオをリンクしたり、名前の意味を調べたりする時間をこのブログのために取った)。努力する時間が来たら、全力を出す。試合が始まったら、勝つために頑張る。戦う時間になれば、殺気立ったまなざしで見る。強く感じたい。強く感じることはよく正しくある意味がある。僕の強さは試されていると思ったら、僕のトカゲ脳は考えている言葉が一つしかない:戦え。その支配的な本能は僕に止まりにくい時がある。でも、その本能を道具として使えるようになるために、まずその本能を支配しないといけない。