人生の振り返り:若い頃

by | 2019-01-26 7:54am Asia/Tokyo

人生の振り返り:若い頃

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人生の振り返りシリーズのナビ

若い頃10代の頃落ち込んでいた頃朝日の頃変身力が上がる覚醒

ニューヨークにあるレッドフックという小さな田舎の町に生まれた。ほとんどの人のように、そのころの記憶はあまりない。けど、少し記憶がある。まだまだ若かったころに、家の玄関に立っている記憶がある。父はボーリングをしに行って、長い間に帰らないと母は言った。ボーリングとはいったい何なのかわからなかったけど、それはやばそうだった。父は準備ができた。僕は怖かった。父が言ったらいやだと思った。

そのあと、父の職場があるワシントン州に引っ越した。飛行機を製造する「ボーイング」という会社だった。

数年間後、おばあちゃんのトレーラーハウスの外に、おじさんはファミコンをやっていた。カンフーというゲームをやっていた気がするけど、よく覚えていない。それは僕の初めてのゲームの経験になった。

そのトレーラーハウスで覚えていることは議論だった。その時に、ザ・シンプソンズというテレビ番組はまだ新しかった。母の家族はその番組を見ていたけど、父は好きじゃなかった。番組が子供に自分のお父さんを親孝行しないように刺激すると思った。その番組の中に、あるキャラクターがお父さんをバカにしたりした。子供がそのキャラクターをまねするかもしれないとお父さんは言った。

ワシントン州に引っ越した時に、アパートに住んでいた。親と3人の姉たちには狭くてきつかったかもしれないけど、僕は全然気にしなかった。妹も一緒かな。いや、楽しかった。ベッドの上に一人の姉と一緒に遊ぶ記憶がある。姉は髪の毛かなんか僕の顔の前にフリフリして、「いやだ~」とニコニコで言ったので、僕も「いやだ~」と言った。よく考えたら、姉は陰毛を抜いていて、僕に見せていたと思う。多分。いやだ~、ね。もちろん、人間の記憶力は完全に信頼できることではないので、大人の目で見て状況を考えすぎているかもしれない。でも、姉の陰毛を姉の顔に押し返したという記憶が面白いので、そのままでいい。

そのアパートのプールで父が泳ぎ方を教えてくれた記憶がある。僕はおぼれかけた時に、黒人の女性が助けてくれた。一回、プールを上がった後、足の親指をコンクリートにわざと引きずった。血が出た。一体、なぜそんなことをしたか、わからない。未来ノーベル賞者に見えなかったな。

短時間後、親は家を借りることにした。小さい僕には広く感じたけど、特に大きかったり、小さかったりしなかっただろう。その家の中で、親のパソコンで色を覚えた。母は地下室でフォニックスや簡単な算数を教えてくれた。スター・トレックというSFもテレビ番組を一緒に観た後に、リビングで寝落ちることが多かった。ソファに座ってテレビを見ていた時、ソファの上に立って、姉(陰毛姉)のおっぱいを覗こうとした。しかし、バレちゃった。

その家の中に、けんかが多かったな。ほとんどは父と姉たちとの喧嘩だった。母はアルコール依存症の元夫と離婚して、僕の父と結婚する前に、3人の娘を産んだ。その4人が長い間にうまく行かなかった。夜に電話で話すことは、父が禁止した。陰毛姉はあのルールが嫌いだった。ある夜、父は電話を撮ろうとしたとき、姉は電話をバンと打ったりして、家を出た。ドアーを出る前に、壁をパンチして穴を残した。他の姉はある夜、家を出て、友達の家にいったん泊めた。ある時、親が献花した後、父と一緒にちょっとドライブに言った。詳細が分からなくて、親が喧嘩したかわからないけど、たぶん、父は少し冷静になるための時間が必要だった。母もそうだったかも。

その家に住んでいたころ、母は近所の教会の幼稚園で働いた。一回、すごく早く起きないといけなかった。ラーメンを食べられることが唯一の慰めだった。その幼稚園で、外で遊んでいた時に、他の男の子のパンツをみえた。有名なキャラのイメージがあったけど、どっちか覚えていない。なので、僕も自分のパンツを見せた。スクビーデューというキャラ。2分間ぐらいにお互いにパンツを見せ合った後、幼稚園のお姉さんはやめてって言った。パンツで会話を始めることを聞いたことがなかったな。

幼稚園の昼寝の時間も覚えている。子供は全員で大きい部屋に集まって、布団のようなものに眠らせた。僕はあまり眠くなかったときが多かったけど、おもちゃがなかったので、自分で遊び方を考えなくてはいけなかった。天井にあった暗くしていた電球を見て、手を伸ばして、「チーズ」を言いながら電球を食べる真似をした。電球は棒チーズに見えたかな?わからなんな、頭がいい少年じゃなかった。

ある時、家族はヴァンで出かける準備をしていた。僕はヴァンに登る瞬間に、姉(陰毛姉じゃない)がドアーを閉じて僕の頭が挟まった。眉にまだ傷の跡が残っている。

脳の損傷は僕の攻撃的な性格を起こすかもしれない。まあ、知らない。僕は姉を恨まなかった。僕は少し大きくなったら、一緒にローラーブレイドしたりした。

姉たちはもういい。妹の話をしよう。ある日、僕はリビングのどこかに身を隠れて、妹を呼んだ。「手伝って~」と呼びだした。妹は優しくて喜んで手伝いに走り出したら、僕は飛び出してびっくりさせた。僕は楽しかったと思ったけど、妹は嫌いだった。将来に、僕を手伝う気が少なくなったんだろう。

僕たちが一緒に遊ぶことが多かった。その家からアパートに引っ越したら、一緒に土を掘ったり、おもちゃの車で遊んだりした。レゴを組み立てったり、モノポリーやマリオパーティーをやったりした。肝試しとして、僕は(二階の)窓から飛び降りてって妹に言った。僕はいまでも、そうする前に心の準備をしないといけない。しかし、妹を飛び出した。それで腰か、背中を損傷したけど、どれぐらいの損傷かわからない。でも、妹がやったことを認めなかった。子供の頃の経験の中に、その時にやったことを後悔する。妹の勇気を認めてよかったのにな。

シェリーズというレストランに行くことが多かった。僕は普通に七面鳥のサンドを注文した。しかし、腹ペコペコのボーイだったので、いや歯は言わしたりして、食べ物を待っていた間に、僕はテーブルの下にガムを探しに行った。ガムを取って、もぐもぐ噛んだ。古いガムは硬すぎて、弱いボーイの手で取れなかった。新鮮なガムは撮りやすくて、おいしかった。不思議なガムを噛んでいる僕を見たお母さんは困った。

僕が口に入れた怪しい食べ物はガムだけじゃなかった。妹と僕は外で放棄されたチョコバーを見つけた。アリがまだ取っていなかった部分を食べている僕たちはお母さんにバレた。お母さんは喜んでいなかった。